
Wikipediaによると、北条時行は鎌倉幕府最後の得宗北条高時の次男。後醍醐天皇の倒幕運動を発端とする、足利尊氏と新田義貞を含む各地の武家の離反により鎌倉幕府が滅亡した後、諏訪頼重に救出されて信濃国に身を寄せる
その2年後、挙兵して鎌倉に進軍。一度は鎌倉を奪還するものの、20日間ほどで足利尊氏に攻められ脱出
尊氏はそのまま鎌倉にとどまり、独自の武家政権創始の動きを見せ始めるが、これを反逆と見なした後醍醐天皇との間に建武の乱が勃発。尊氏はこの乱に勝利すると室町幕府を開く。敗北した後醍醐天皇は大和国吉野で南朝を開いて南北朝の内乱が始まるが、この内乱で時行は後醍醐天皇方の南朝に帰順し、各地で北朝相手に戦いを繰り広げることになる
最期は足利方に捕らえられ、鎌倉龍ノ口、今の神奈川県藤沢市龍口で処刑される。享年は20代半ばと推測されているらしい
諏訪頼重は諏訪大社の大祝とされるが不詳、とのこと。諏訪氏は代々信濃守護の北条氏に仕える家柄だったらしい